生活集

22歳

四月ばか(20210404)

ついに始まってしまった新生活。ガチのマジなんだなエイプリルフールなのに。辞令交付式は配属先にかかわらず同じ会場でやるので彼氏も昨日から私の家にいる。でも配属先によって朝の集合時間は違ってて、私の方が1時間早く家を出なきゃならない。まさか初日からスーツに化粧をつけるわけにもいかないので、家を出る前にはハグやキスじゃなくてハイタッチ。で、いってきます。

いざ会場に入ると隣の席が昔っからの知り合いだったもんで驚いた。思わずニヤついた。ローカルテレビや新聞の取材班が割と大所帯で来ていた。前の方の席だったので、フラッシュが眩しい。

交付式自体は1時間もかからず終わり、各々配属先へ分かれてゆく。研修も何もないまま(後日集団研修があるらしいが)、たった1人の新人として課に迎え入れられた。戸惑うほど物腰の柔らかい人たちばかりで、逆に恐縮してしまう。しかし今、正直、めちゃくちゃ忙しいらしい。私も初日から決裁書(の出来損ない)を作り、他にもちょっとした雑用をこなした。当然と言えば当然なのだが、私が1の仕事を終える間に周りは50くらい勧めている。戦力外どころかまあ足手まとい。でもみんな超褒めてくれる。お菓子とかくれる。ひええ。そんでマルチタスク苦手なんだけど、ザ・マルチタスク(^-^)みたいな部署に来てしまった。すげ〜〜〜不安。

17時15分、私だけおうち帰ります。新人以外誰も帰らない。いったいいつまで“新人”でいられるのだろうか……。自分の部屋に戻ったらわけもわからず涙が出てきた。滲むぐらいじゃなくて、じわじわポロポロ。普通に泣いた。悲しいとか悔しいとか不安だとか、何か感情があって涙が出るんじゃなく、疲労が涙に溶けて溢れるようだった。これまでにはあまり経験したことのないような涙。ポストに鍵が入っているのを見つけてさみしくなった。つい8時間前まで、ここに彼氏がいた証。

ただ私のえらいのは、ここで座りこんだりせず、すぐご飯を作り始めるところなんだな。彼氏に電話もかけて、喋りながらお料理。今日は豚肉・アボカド・トマトのおうどん。味付けは適当。うーん甘めにしとこっかな〜とかそれぐらい。そういえばまだ炊飯器買ってない。ま、米なんか鍋でもレンジでも炊けますからね。それで、キッチンが良い匂いになる頃にはもうすっかり元気。お腹いっぱいにまでなった日にゃご機嫌で鼻歌まで出てる。自分のこういうところほんと好き。それだけじゃ飽き足らず、洗い物してお風呂入って掃除までして……、いや天才か?途中でやっと届いたカーテンの開封、セッティング、段ボールをまとめるのも。

これだけしてもまだ20時過ぎ。素晴らしきかな定時退勤。時間外労働嫌三(じかんがいろうどういやぞう)に改名しようかな。とかなんとか言うとる間に寝落ちですわ。彼氏の声を遠くに聞きながら。ハッピーライフじゃん。私は元気の取り戻し方を本当によく知っている。というより私の手にも負えんレベルのダメージってもう工夫でどうにかなるもんじゃないと思います(過言)。

遠距離恋愛終わった途端さみしさたちが風化し始めたからあわてて保存しているよ。(20210319)

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4年間の遠距離恋愛が終わった。大学生活の終わりとともに物理的な距離、生活拠点はぐっと近くなった。きっと万感の思いが押し寄せてくるだろうとぼんやり思っていたが意外とそうでもなく、ああおわったんだなあよかったなあ、ぐらいの気持ちでいる。一区切りついた、という感じはする。でもそれだけ。高校生の頃すごーく遠くに見えた場所に来てみたら、ただの給水所だった。ゴールなんて全然見えない。私たちの関係も生活も、変わりながら続いていく、これはその一地点に過ぎない。その事実に興覚めだとかがっかりだとか言いたいんじゃない。ただ事実として、そうだな、と思う。もちろんこれまで、彼が私の隣にずっといてくれたことはとてもうれしい。それで、これからも一緒に歩いていけたら、もっとうれしい。

今の気持ちはこれだけ。あんなにいっぱいあったぶつけようのないさみしさたちは、早くも“思い出”になり始めている。けれど涙腺がおかしくなるほど泣いたいつかの気持ちを忘れてしまうのも、寂しかったわたしが可哀そうな気がする。だから、過去のメモや日記を見ながら、もう少し何か書き残しておこうと思う。

 

一応軽く紹介しておくと、恋人は、中学・高校時代の同級生。交際を始めたのは大学受験が終わってから。進学先はそれぞれ地元を離れて、飛行機+電車で会うのに半日かかる距離。交際期間はほぼイコール遠距離恋愛期間。で、来月からは同じ組織に勤務予定(と言っても配属先は県内に幅広いんだけど)。同棲や結婚はまだ先かなあとか話してる。

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遠距離の話に戻ると、寂しさに“慣れる”なんてことは、まったくなかった。慣れるどころか、よりキツくなる。だって付き合いが長くなるにつれて、好き度が増していくから。会えないの、寂しいとかしんどいとか通り越してイライラする……となることさえあった。特に眠れない夜。私の部屋には抱き枕が4体いた(内2体は恋人からもらった)が、寂しさを紛らすにはてんで役立たずだった。抱きしめ返してくれないので。そんな時は、好きな人に会えないのが寂しくて泣くというより、好きな人に会えない自分が可哀想で泣いてしまう。

寂しいから、写真や動画、ボイスメモ、LINEのスクショなんかをしょっちゅう見返す。その時間はそれなりに楽しい。楽しいけどさ、それらは過去の彼氏であって、今同じ時間を生きている彼ではないのです。会えない間は当然写真や動画はほとんど(たま~に本人から送ってもらうのを除いて)増えないから、ずーっと同じのヘビロテしてるの。今の彼がちょっと髪伸びてたとしても、スマホの中の君は変わんない。会った直後はカメラロール開けばすぐ目に入るところにたくさんいるのに、会わない間にどんどん新しい写真やスクショが増えて、彼が押し流されていく、それも寂しい。電話はリアルタイムだけどさ、いつもいつもいつもいつもスマホ越しに文字を交わして声を聞いてたまに顔を見て、スマホの向こうにいるやつ本当に私の大好きな彼氏なのか??ねえ???大丈夫?本物?全部わたしの妄想で真っ暗なスマホに向かって1人で喋ってない???とか言って。まあだからこそ久しぶりに会うと、電話したり写真や動画見たり妄想したりしてたのの100000000倍かっこええわ実物の彼氏!となるのですが(これは惚気)。

それに寂しいのって、単純に会う頻度が少ないってのももちろん大きいけれど、“会いたいときにすぐ会えない場所にいること”がとっても寂しいの。だっていつも、今すぐ会いたい会わなきゃだめって強い気持ちは、唐突にやってくる。15分前まであんなに穏やかな気持ちだったのにどうしてこんな、と自分でも驚く。それで、「なんかもう卒業まで会えなくても大丈夫な気がする」と「今すぐ会いたい会わなきゃ死ぬ」を行ったり来たりする。荒唐無稽かもしれないけれど、もし突然「明日地球が終わります」となっても会いにいけないよなあ、交通機関死ぬだろうし。電話も繋がらなくなっちゃいそうだなあ。やだなあ。って、考える。そうじゃなくても、彼の身に何かあった時、私が知るのはきっと、ずっと後。ひとり暮らしで、もし突然倒れちゃったら、とか地震が来たら、とか。すぐには助けにいけない。知る術すらない。こわい。かなしい。とりあえず2日連絡が途絶えたらアパートの管理人さんに電話して生存確認してもらうからねって話はしていたけど、すぐに会いに行けない距離って、そういうこと。

それから遠距離中ってねえ、会ってる間すらうっすら寂しいのよ。会う予定が具体的に決まったとき、それはもうとっても楽しみなのだけれど、同時にバイバイする時のことやまたひとりで毎日を過ごすことを考えて憂鬱になる。せっかく観光地を歩いていても、(早く部屋に戻って思いっきり抱きしめたいこれまで寂しかった分も……どうせまたすぐお別れしなくちゃだし………)など考えてしまって、どこか上の空だったりする。後のことなんか考えず、目の前の景色を楽しめたら良いのに、難しい。

でも実は、会いたい時にすぐ会えないことより、私だけが寂しくて私だけが会いたいんじゃないかなって思うときの方がもっと辛かった。今思うと。私と彼氏では“会う”ことの位置づけが少し違う。コロナ禍でも会うか、我慢するか、の話をしていて気が付いた。彼は私ほど、“会う”を重視していない。繋がってさえいれば(マメに電話やLINEでやり取りができれば)、年に2回くらい会うので平気らしい。「そりゃ寂しいけど、別に耐えれんほどじゃない」って。それは私にだけじゃなくて、他の家族や友人たちに対しても同じスタンス。というかそもそも人と関わらない生活が苦痛じゃない(どころか1人でいる方がよっぽど好きな)人だから、私とこれだけべたべたした関係性を維持しているのがむしろ奇跡的かも。他の人・物・事で“紛らわす”必要もないみたい。
一方で私は、友人にも彼氏にも、直接会えないことがとても苦痛。しんどい。彼は「電話で話す内容も直接会って話す内容も同じ」と考えているけれど、私は、直接顔を見てないと、近くに温度を感じていないと、なぜか「言葉」として形にならない気持ちがいっぱいいっぱいある……ような気がしている。そういう感覚の違いはもう、どうしようもない。だけど、たまに、同じぐらい苦しめば良いのに、とは思ってしまった。

そういえばわたしは手紙を書くことが好きで、彼にもよく送った。封をして、切手の柄を選んで、ポストにいれながら、こいつらはたった80円やそこらであの人に会いに行けて良いなあと、感傷的な気分に浸る。さみしさに酔えるタイプの人間だからネ。で、感傷ついでに、より鮮明に私を思い出して彼もしんどくなりますようにって半分呪うように、便せんに香水の香りを移してみたりしたこともある……(てへへ)

ちなみにこういう違いに先に気が付いたのは、意外にも、彼の方。「もし温度差とか感じてたらごめんね」と言っていた。彼も私も何も悪くなくて、どちらかが変わる必要はない(し、変えられない)と思う。でもやっぱりそれを寂しく感じる時もある。ないものねだりなんだけど。同じ気持ちになってよ!わかってよ!じゃなく、同じ気持ちになれないことが辛かったな、という振り返り。お互い相手の寂しく感じる/感じないを理解はできるんだけど共感はできなかったんだよね。

おもしろいな~だけでは済まない、もどかしくて不安でもやもやして……になっちゃう感覚の“違い”は、これからもきっと、いくつも見つかってくと思う。でも、そういう時、共感してくれなくてもたぶん、受け止めてはくれるだろうなって信頼はしてる。そういう信頼感を、私も与えられてたら良いなと思います。


大体の遠距離関連メモは(おそらく)まとめられたのでこの辺でおわり。おやすみ。

 

読んだ本・感想メモ(2021年2月)(20210228)

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唯川恵『22歳、季節がひとつ過ぎてゆく』1994年

タイトルで手に取った。大学4年生の1年間。環境の変化や偶然が関係の変化に繋がって、すっかり分かった気でいた恋人や友人たちのこと、知らないこと分からないことばっかりだ……と気づいてゆく。思った以上に自分は未熟だし、強い大人、に見えていた人たちも非合理的な部分をたくさんもっているし。私はどうしたら良いんだろう、というか、どうしたいんだろう。うっすら気付いていたが目をそらしていたことやむずかしそ~となんとなく後回しにしてきたいろいろに、そろそろ向き合わなきゃいけないんじゃない。22歳、そういう季節だったかもね。みたいな。友情と恋愛が主題だけど変にドロドロしてない。中高生に比べると愚かさ無謀さは不足気味、でもまだギリ“青春”って呼べるかも。そんな話だった。

金川欣二『脳がほぐれる言語学』2007年

ノット学問としての言語学。「言語学をやると(その視座を手に入れると)なにがうれしいのか」を延々と語っている。マジでオジサンの雑談。講義の本筋に関係ない雑談を嬉々として話し続ける教授いるじゃん、アレ。(でもアレ、私は割と好き。)へえ~となる雑学がうまいこと組み合わされてるから、暇つぶしにぴったり。

小川洋子薬指の標本』1999年

奇妙で幻想的でずっとちょっと不穏。肉感?肉体の柔らかさやふくらみを感じるのに、ねっとりしたなまなましさはない。むしろしゅわしゅわの炭酸、の、甘くないやつ。にんげんとにんげんの間に働く不思議な引力を描くのが本当にうまくて、惹きつけられた。でもこれは「恋愛」小説になるのかなあ。読んでるこっちが不安になってしまうような危うさをはらむ人だらけだけども、みんな幸せそうだから、ま、いっか。ね。

山本文緒『みんないってしまう』1999年

4年住んだ土地を離れるため全て引き払って引っ越しをするその前日、からっぽの部屋の隅にまるまって1人で読んだ喪失(恋愛関係だけじゃなくね)の話たち。一話一話はかなり短い。リアルさに少し寓話をたらしました~って感じ?喜劇か悲劇かは、読む人によって違う印象を受けるかも。私には喜劇に見えた。喪失を通り過ぎてもなんだかんだ人生は続いていく、でも私は、自分自身だけはずっと私と一緒にいるねえ、つって。で、喪失の後の私は変わってないようでやっぱり前の自分とはどこか違うみたい、誰も(自分自身でさえも)気づいていないかもしれないけど。

ナガノ『ちいかわ─なんか小さくてかわいいやつ①』2021年

かわ、か、かわいいね……。ヨダレ出る……。ちいかわちゃんたちをめちゃくちゃ““所有””したい…………。

村田沙耶香コンビニ人間』2016年

人間の“普通”がわからない人間が、周囲の人間のガワをまねて人間っぽく振舞って生きてる、そうすることでしか社会で生きられないから。都会ですら所詮ムラの延長、異質なものは排除され正常を保たれる……。はじめは「人間失格」みを感じるな~と思いながら読み進めていたけど、外身を繕いきれる能力の有無や、社会との距離感、なにより内面の動き方は全然違った。作者はどういうメッセージを伝えたいんだろうとか考えなくても、この人(主人公)が「在る」んだなあととりあえずそのまま受け止めるだけで良い気がした。私は。安易に「共感できる」とは絶対に言いたくない感じ。以下引用。「……特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい苦悩の形とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。…(中略)…迷惑だなあ、何でそんなに安心したいんだろうと思いながら、……

吾峠呼世晴鬼滅の刃』(第1~23巻)2016年~2020年

全巻一気読み。少年漫画を読むのも随分と久しぶりだったから、バトルシーン多くてうれしかった。やっぱね、総力戦が好きですわ。熱いね!でも熱血パワーゴリ押しじゃなく、知略が重要だったところも良かった。最後唐突にカップリング大会始まったのはちょいワロてもうたが、ずっと「家族」の絆の強さは主軸に据えられてたし番うことが幸せに繋がるという価値観の強い時代だっただろうし、まあそっかーって感じだね。幸せならオッケーです。

山本文緒『恋愛中毒』1998年

ザ・恋愛小説!私はもう完全に違う世界のお話みたいだと思ったしなんならサスペンスドラマを見てる野次馬感覚だったけど、当時(今も?)強い共感を持って支持されていたことをあとがきで知って驚いた。でもずーーーっと恋愛について書いてる長め(あとがき抜きで410頁)のお話なのに一切共感できなかった私がずっと飽きずに読めたから、やっぱり話の運びがだいぶうまいんだと思う。

川上弘美『蛇を踏む』1999年

短編集なんだけど、どれも最初の一文が詩みたいに不思議できれいで、標本にして飾りたいくらい。「いくら注いでもコップが一杯にならないと思ったら、コーヒーだったはずの液体が、いつの間にか夜に変わっているのだった。」なんてね。温度の低い文章。こういう淡々とした口調で、“無い”世界をまるで“有る”みたく書いてるの、私大好き。普通ならエッって立ち止まるところを立ち止まらずに、ただそういう世界を歩いてるの。ずっと見てたいね。

読んだ本のメモ(2021年1月)(20210207)

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※ネタバレしてる

1.『黒執事』1巻~30巻 
(著)枢やな/連載開始:2006年~

30巻分の感想メモだからちょっと長くなっちゃった。

ファントムハイヴ邸連続殺人事件編まで(1~11巻)は遥か昔に読んでいたのだが、期間限定無料公開を機に、はじめから最新刊(30巻)まで一気読み。一気読みの良いところはその「世界」にどっぷり浸かれること〜興奮そのままに。6時間以上ずっと読んでた。一気読みした後はいつも頭がくらくらする。心地良い疲労感。デメリットはいろんな感情や細部をかみ砕けないまま物語の波に押し流されてしまうところ。この感想を書いている今も正直人名や細かいストーリーは抜けてる。だから感想は断片的に印象に残ってるとこ中心。

私が好きなのはベタだけどサーカス編。やっぱり、これぞ黒執事!って思う。サーカス団員たちのキャラ付けが好き(なのにみんなあっさり死んだ)だし、使用人たちが大活躍するとこ最高にゾクゾクする。ヤるかヤられるかの攻防に疾走感が気持ち良い~!で、極め付きはラストの孤児院を訪ねるとこ。え~!?!?後味悪!!!!こういうのだいすき♡♡♡ってなった!あんまり鬱展開過ぎるとしんどい…しんどい…になっちゃうんだけど、やっぱ人間ってクソだね!ア~~辛いよねえかわいそかわいそ♡♡って気持ち悪い感情に浸れる絶妙なラインだった。あと、リジーの覚醒シーンはジーンときた。かよわいかわいいをずっと守ってくれてたんだね君は……。強い女のこと軽率に好きになってしまう病気だよ。リジー一家しゅきしゅきだよ、マジで誰も死なないでほしい(でも万が一死ぬならかっこよく死なせてくれ)。というか、リジーマッマは女王の番犬(シエルパッパ)の実妹なんですよね?それで娘に「エリザベス」とかいう女性君主の代表みたいな名前つけるってセンスイカレてないですか?え?
それで新章さぁ……。アグニ殺す必要あったか!?(たぶんあるよ)。マジで、伏線どこにもなかったよね!?インド組はほっこり要因やと思って完全に油断してた。他の人(現時点の登場人物)は誰が死んでも一応納得はできるのに……。罪を一度でも背負った時点で命の保障はされないってことですか?
で、黒執事読んでて気づいたけどわたしは(たとえどれだけ「人間離れ」していても)あくまで「人間」の範疇にあるキャラの活躍を魅力的に感じるっぽい。悪魔や死神がどれだけ強さを見せてくれてもフーンそうですか。ってなっちゃう。人外の分際で人間のお気持ちにしゃしゃっとんちゃうぞ……みたいな?いや別に嫌いではないんだけどね。

【あってほしくない展開トップ3(唐突)】
3位:藍猫の死/スネークの死
2位:リジー肉人形化
1位:ファントムハイヴ家襲撃(過去編)の内通者がタナカ

無理だと思うけどシエル(弟)幸せになってほし~。おわり。

2.『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』
(著)阿佐ヶ谷姉妹/2018年

タイトルまんまのエッセイ。“共生”という言葉がとてもしっくりくる。穏やかな二人暮らしを垣間見ることができた。おかゆのような優しさ。6畳一間で大人2人が6年間生活して、仕事も一緒で、でも大きな喧嘩は一度もなくて、しかもお互いに無関心とか何かを諦めているとかいうわけではまったくなく、って、本当にすごいことだと思うよ。私は家族でも無理。お互い腹立たしいこともいっぱいあって「小競り合い」はよくしてるみたいだから不満をためないってこともあるんだろうけど、でも全体読んでて思ったのは、結局相手のわがままな部分をお互いに可愛げと捉えてるなあ、それってすごい愛だなあってこと。大きな事件や衝撃的な展開はないけどつくづく奇跡的なバランスで成り立っている二人だと思うよ。

3.『酒と恋には酔って然るべき』第1巻
(著)江口まゆみ・美波はるこ/連載開始:2018年~

タイトルに惹かれて。恋愛パートは正直あまりときめかなかった(ヒーロー役が好きになれなかった……)のだけど、たくさん登場する実在のお酒(日本酒中心)たちがどれも魅力的に描かれていて良かった。グルメ系によくある主人公の飲みっぷり食べっぷりを楽しませる描写は軽くしか描かれてなくて、一品一品テンポ良く進む。良い意味で、スナック感覚で読める漫画だった。

4.『チーズはどこへ消えた?
(著)スペンサー・ジョンソン(訳)門田美鈴/2000年(翻訳版)

表紙が可愛い。導入パートと終わりの戒めパート要らんすぎる~~と思ったけど真ん中部分だけじゃほんとただの児童書で“ビジネス書”にはならんか……。でも要らないと思う。星の王子さま初読と似た感覚(内容どうこうではなく、前評判に期待してたほど自分は良いと思わなかったなあという拍子抜け感が似てる)。話の展開より「この迷路を作った“上位存在”は誰なんだ?」ばっかり気になってた。箱庭観察するマッドサイエンティスト?あとチェダーチーズ食べたくなった。
「読むたびに新しい発見がある」的なこと書いてあったから、社会人になって読んだらまた違う感想になるかもね。

5.『恋はさじ加減』
(著)平安寿子/2006年

恋愛短編集。小説に出てくる食べ物好きだから、そういう題材のやつつい手に取っちゃうんだよね。どれも昔のメロドラマ感満載。リアリティーや共感じゃなく、完全に架空の恋愛物語って感じだった、私にとっては。みなさんカジュアルに恋して浮気してセックスなさいます。ダサい人間ばっか出てくる。でもなんか爽やか。
あと全体的に旧時代的な価値観の男×ウーマンリブ的価値観を取り入れつつも強くはなりきれない女の物語だと思った。だから男にも女にも若干イラつくシーンがいくつもあって、「屁理屈ばっかこねるな!」「シャキッとせえ!」と内心ツッコミを入れながら読んでたけど、人間そんな合理的にはなれないのかもしれん実際。特に1対1の恋愛関係では“男”、“女”のステレオタイプが色濃く出る、普段の対人関係では全然そんなことないような人でも、みたいな話思い出した。

6.『屋根裏部屋の侯爵夫人』第1~2巻
(著)もり/連載開始:2017年~

令嬢系なろう小説(転生ではない)です。「強い」女が主人公かつ展開が早いのでノーストレスでサクサク読める。恋愛要素が真ん中じゃなく脇に置かれてる(けどしっかり恋愛してる)のも良いですね。第2部からが本番。

一覧
1/9 枢やな黒執事』第1~30巻:漫画(ダークファンタジー
1/15 阿佐ヶ谷姉妹阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』:小説(エッセイ)
1/18 江口まゆみ・美波はるこ『酒と恋には酔って然るべき』第1巻:漫画(ラブコメディー)
1/21 スペンサー・ジョンソンチーズはどこへ消えた?』門田美鈴・訳:ビジネス書
1/21 平安寿子『恋はさじ加減』:小説(恋愛短編集)
1/24 もり『屋根裏部屋の侯爵夫人』第1~2巻:小説(ファンタジー

短歌っぽい日記集②(20210204)

「昼寝」より「午睡」の方がちょっとすき、
自分の世界にまどろむ感じ。
来るのかも知らぬ眠気をじっと待つ夜はあしたが来るのがこわい
#TLをおもしろ人間コレクションという意味だと思ってる人
なんでかな、ほんとにわからないんだけど、
わたしばっかりさみしいきがする
皮の中、なんと真っ白とうもろこし
でも黄色のより甘いんだって
お手軽な達成感でしかやる気起こせないのよ。
子どもみたいね。
2年ほど“気配”だけ醸す親知らず、眠れる獅子のままでいてくれ。
たくさんの「好き」を抱えて生きるのに疲れてしまうときだってあるよ。

思考、記憶、記録(20210118)

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恋人と付き合ってから半年くらいの間の写真が、本当に少ない。「一緒にいるのにスマホなんか出してちゃもったいない!思い出に残るから良いの、そっちの方が大事♡」みたいなお花畑思考で、ほとんど撮らなかったから。でも気付いた。記憶なんか簡単に忘れるし、色褪せるし、改竄する。日記を書くためにカメラロール見返して、オッそうだったそうだったこんなことあったわ、となる率の高さよ。たった数日前のことですら想像以上に、なーんにも覚えていない。もちろん、自分の中からその出来事が、完全に“なくなる”わけじゃない。でも何かしら、トリガーがなければきっと思い出すことができない。だから私は記録する。できごとも思考も感情も自分が言ったことさえもどんどん忘れてしまう、そんないきものだけれど、唯一連続性を保つ方法が記録すること、写真や文章。なのでとりあえずできる範囲でぜんぶ、記録する。もったいないじゃんね、せっかく生まれた気持ちや考えが消えてっちゃうの、ってもったいない精神で。

写真は、瞬発力と客観性に利があるね。シャッターを押す一瞬で、ものすごい情報量を保存しておける。私は人の顔を覚えておくのがあまり得意じゃない。数時間ふたりきりで喋っていた人の顔を、帰り道でもう思い出せなくなっているのもザラ。2回目に会って、その人だと判別できるのは半分ぐらい。声の調子や話し方、ジェスチャーの癖、着けてたアクセサリーみたいな、細かいところは覚えてるクセにね(でも実は意外と皆もそんなもんだったりする?)。だから本当は、出会った人たちみんなの顔がちゃんとわかる写真がほしい。みんなの顔、忘れたくない。でも自然に「写真撮ろ!」って言うコミュニケーション能力がない(し盗撮は普通にありえない)から……。ぴえん。

あと、私は遠出したとき風景だけじゃなく、なるべく自分自身も一緒に撮ってもらうようにしている。自分の容姿を客観的に見るのはあまり好きでないけれど、そこに自分が存在したことが、目に見える形であるとやっぱりうれしい。そこに映った私の服やアクセサリーひとつ取っても、それを選択するときにはいろんな気持ちが介在していたはずなんだよ。そっかあ、あの時の私、“こんな”だったかあ、こんな風に見えてたのかあ、ってのは、自分目線じゃわかんないしね。自分も他人も脳内フィルターを通さず見られる、から、ギャップに結構ぎょっとすることもある。

そういえばかなり昔「カメラ女子」なんて言葉が流行り始めた頃、芸人がカメラ女子に「空の写真なんか撮ってもどうせ見返さないだろ!しょうもない!撮ってる自分が好きなだけ!!!」的なこと言って、スタジオもそれな〜!な空気で爆笑しているバラエティー番組のワンシーンを見た。今でも覚えている。私は「カメラ女子」ではなくて、スマホでそれこそ記録のみを目的に写真を撮る程度の人間だけれど、それでも不服に思ったから、覚えてんだろな。今考えると、“(特に若い)女”やその流行をテンプレ化、小ばかにして笑うような文化は今も昔も変わらずあるし、おそらくこれもその1つに過ぎない。けれどとにかく、自分の中にはそれが小さなひっかかりとして残った。でも実際、なにげなく撮った日暮れ、青から赤へのグラデーション、夏の雲、電線のかかった星空、みたいな空の写真ですらたまに見返してノスタルジックな気分に浸れてるから、嘘じゃん見返すじゃんって思うし、しょうもないんかな〜とかちょっと思いつつ撮っといて、やっぱり良かったなってなってる。ひとのこと簡単に腐して笑ってしまえるような人間の方がよっぽどしょうもないし、そんな取るに足らない人間の言ってることなんか、聞く価値マジでないからネ!って、昔の自分に言ってあげたい~。

写真のこといっぱい書いたけど、私が好きな記録手段は言葉、文章の方。文章は、思考・感情の呼び起こしやすさに利があるね。詩や短歌もそうかな。私は短く洗練させてくより、だらだら思考直結で、とりあえず全部そのまま言葉にしてしまうのが好き。で、その過程もできるだけぜんぶ残しておきたい。これもたぶんもったいない精神から。

それから、言葉にするって、目に見えないものに形を与えてく作業じゃない?そこが好き。写真は既に存在する視覚的な情報を写し取るものだけど、思考や感情って、あるかどうか、存在すらあやふやなもの。それをどうにかこうにか、よりうまく表せるように試行錯誤する。楽しい。他人のそれを見るのも、私はとても楽しい。そうやって書いたり話したりしながら、自分でも存在に気づいていなかった感情や思考がまた見つかる、そういうことが多い。から、何でも良いのでまずアウトプットしてみることが大事だと思う。形式はなんでも。私はツイートやメモアプリが多いかな。(1つ問題点は、即時性重視で手当たり次第って感じなのでどこに何を保存してるかイマイチ把握できていないこと。ほんとはもっとちゃんと整理分類したいんだけど。だから最近は書き散らかしたメモをたまに見返してはこうやって、少しまとまった文章に直したりしてる。メモとメモの隙間を埋める言葉を探していたら、またいろいろ新しく思い出したり、考えが思い浮かんだりする。)誰かと、とりとめもなく何時間も話してるのも大好き。

「無理に言葉になんてしないで、感じるままに!」って考え方も、否定はしないよ。震えるほどの感動が言葉にした途端陳腐なものになっちゃうというか、心に言葉が追い付かないというか……、そういうことってあると思う。使ってる言語の枠内でどうしても制限や順序付けが起こっちゃうもんね。昔ゼミで教授に、何かを言葉にすることでこぼれ落ちるもの、無理やり押し込められるものは必ずある、そのある種暴力的な側面も意識しとかなきゃ駄目だよ、ただの誤字が文字通り命取りになることもあるよって話をされた。穏やかな言い方だったけれど、どきっとした。そういう言葉の怖さも、忘れちゃいけない。

でも、私は、それでも一度は言葉にしてみてほしいなって思う。別に完全に言語化できなくてもいいんだよ、しっくりこないならなんかしっくりこないなーのままで、もっと近い表現をまた探せば。1回で言い切る必要はないもんね。いっぱい言葉や表現探せば良いよ。それでも見つからなければ作ってしまっても良いかも(それが伝わるかは別として)。自分でも自分の感情を正しく(より上手に)表現できるとは限らない。あれは「嫌い」じゃなくて「うらやましい」だったなあとか、「恋」じゃなくて「憧れ」だったなあとか、あとからいくらでも変わりうる。その試行錯誤が言語化の醍醐味だと思うし、その連続性を保てるのが記録だよね~って、そういう話だっけ?まあいいか。そんな感じよ。

それと私は、コミュニケーションにおいては、「実際に発された言葉」を重視する。だって言外の感情読むのほんとにできないモン好きなら好きって言ってほしいし嫌いなら中指立てとくぐらいしてくれないと分かんないぽよ~。好きって言われてないのにそれが私の勘違いじゃないってなんで言えるの?と思ってしまう。言葉にしてくれたら、たとえそれが嘘だったとしても「好いてると思われても良い」と相手が思ってることは確実にわかるじゃない?「言わぬことは聞こえぬ」だよ。その人が内心どう思ってようが、"その人が私にどう思われたいか"を尊重するし、実際にとられた言動ベースで評価するよ。根は良い奴とかそんなの知らんからね!同じ理由で、"あの人は「実は」性格悪い"とか暴こうとするのも(実害が出ていない限り)、好きじゃない。表面上だけでも友好的で優しい人は、少なくともそれを維持するコストを私に割いてくれてるんだから、って。だから私は“宣言”の意味も込めて、「好き」や「愛してる」をよく言葉にする。好きな人に、私のこと、「あなたのことを好きな人」とちゃんと認識してほしい!エゴ!です。えへへ。

で、ここまで「記録は良いぞ!」をべらべら綴ってきたが、そうは言っても記録は非可逆圧縮、復元できるのはある程度まで。一瞬一瞬の時間や感情を、切り取って、枠にはめ込む作業だもの。そうやって手元にコレクションしておいて、どうしたってこぼれ落ちた足りない部分(特に感情や思考みたいな、「客観的な事実」が残せない部分)にはたぶん、感傷や願望を混ぜながらふやかして眺めるしかない。それはもうしょうがない。むしろそこが楽しいみたいなとこあるしな!だからみなさん写真パッシャパッシャ撮って軽率に言語化しましょう!記録があるとうれしい!たのしい!ハッピーライフ!!!

ハイ今日はここまで!おわりおわり!

新しいままのワンピース(20201231)

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年の瀬なので、今年を振り返ろうと思う。

生活様式の変容には言及するのさえ飽き飽きしているところだが、とはいえこれを抜きに今年を語ることも困難で、それならばもういっそ冒頭で触れてしまおう。みんな、2020年は本当に大変だったね。よく生き延びました。いつだって生きていくには「大変」がつきものだけれど、それにしたって頑張った。私もえらいしみんなもえらい!いえい!

でも、いつまで頑張れば良いんだろうね。私は今年、ワンピースを5着買ったよ。どれも1回か2回しか着ていない。着ないままに季節が過ぎたものもある。着て行く場所が無かった。ほとんど着ないまま、新しいまま「荷物」になって、郵送される。もっと着たかったよ。好きな服を着てもっと、好きな人たちに会いに行きたかったよ。1か月と少し後にはこの部屋も、この街ももう私の場所じゃあなくなっていて、人々にも、気軽にふらっと会いに行くことはできなくなっている。そんなことを考えて最近は、とってもとってもさみしくなっています。

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1年前の今頃はソーシャルディスタンスなんて概念は無いし、友達の家で年を越した。年越しそば食べて紅白見て、当たり前のように人混みの中、初詣をした。おみくじ、何年かぶりに大吉引いて、今年は良い年になりそう~とかのんきに思っていた。大学3年生も終わりに近いのに、この頃新しく知り合った人たちも何人かいる。

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2月は、狂った生活リズムと怠惰な生活から脱するため、朝ごはん会をやっていた。大学のフリースペースに集合して、いっしょに朝食を食べて、今日も一日頑張りましょーって解散する。あとは各々、図書館なり研究室なりでお勉強。大した話はひとつもしていないし、本当にご飯を食べるだけの短い時間。でも今思い出すとなんだか少し、涙が出そう。

この月には、自分なりに頑張ってきた調査実習の報告会も無事終えて、あとは公務員試験と卒業論文だけ!という状態になっていた。

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3月、確かこの頃にはもう日本でも、コロナやばいんじゃないのって空気になっていた。12月にはどこか遠い世界の話のように思えていたことが、一気に身近な脅威へ変わった。それでも私は就職活動という大義名分をひっさげ、実家へ戻った。就活の詳しい内容は割愛するけれど、参加するはずだった説明会はすべて中止になり、急遽、予定になかった民間就活を進めた。その傍ら、彼氏と付き合って4年目を迎え、ささやかなお祝いもした。

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4月7日、弊学部の授業開始日が、ゴールデンウィーク明けになるとの通達が来た。手帳の予定をたくさん消した。いろいろな日程が何度も変更されたから、修正に修正を重ねた。この年度に実習を控えている友人知人も多く、嘆いているところをよく見かけた。なにもかもめちゃくちゃになっちゃった、と思った。

とは言ってもそこまで重要な予定を持ち合わせていなかった私はまあお気楽なもので、意外と「おうちじかん」を満喫していた。食べ物をお取り寄せして見たり、オンライン飲み会に参加してみたり。銘菓に似たものが「ジェネリック〇〇!」と時々バズるけれど、所詮下位互換でしかないんだなあと、六花亭のシンプルなお菓子たちを食べながら考えた。

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マスクが足りなくなるかもしれないと少し心配していたら、彼のお母さんが送ってくれた。直筆のメッセージ付き。ほとんど人に会わない生活の中で、誰かに気にかけてもらっていることがうれしかった。

5月、ときどき早朝の散歩をするようになった。半分パジャマみたいな恰好で久しぶりに外に出た最初の朝、無性に走りたくなって、50メートルくらい小走りした。誰にも見られてはいないと思う、たぶん。この頃にはもう、本当に必要最低限しか家を出ていない。1週間や10日家を出ないなんてザラだった。春が来ていたことに随分遅れて気が付いて、私が歩かなくたって街はどんどん変わってゆくことを実感した。下旬にやっと、特別給付金の申請ができた。

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卒業論文の題目は6月に決まった。3年生までに考えていたテーマとはだいぶ違うジャンルになった。そして、唐突にコスメへの関心が強まった。(これまでもそこそこ好きではあったけれど、アイシャドウとリップ以外はどうでも良いな~と思っていた。)ベースメイク探しの旅?をひっそり開始。

……本当はそんなことしている場合ではなくて、下旬には公務員試験のために、また地元に戻った。私の受ける自治体は一つだけだったけれどそれでも忙しくて、やれ作文試験だ集団面接だって、何度も本庁へ足を運んだ。合間にデートしたり実家で犬と戯れたり、緊張と癒しの高低差がすごかった。どうせ大丈夫だよって言う母に、「もし受かってなくても笑わないでね」と言ったら、めちゃくちゃ笑われた。

8月になって少しずつ、大学の友人たちとまた会うようになった。夢中で喋った。

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そりゃあ電話でも話はできるけれど、私は、会わなきゃ話せないことだっていっぱいあるよと思う。電話じゃ言えないような秘密の話、とかじゃなくって、直接顔を見てないと、近くに温度を感じていないと、なぜか「言葉」として形にならない。あることにすら気付かない。そういう無意識の思考がいっぱいいっぱい自分の中にある。気がする。たぶん。わからないけど。

9月に私は、22歳になった。誕生日だからねって自分に言い訳して、欲しかったものをいくつも買った。ベースメイク用のコスメも買い揃えられた。それと、整体に通い始めた。昔から猫背と反り腰は自覚症状があって、改善ストレッチをやってみたりもした。でもやっぱり大した変化はなくて、満を持して、という感じ。今思えば、もっと早く行っときゃ良かった。

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10月、想定外に贈り物をもらう機会が2度もあった。私はささやかでも贈り物をもらった時、とても“好意”を感じる。ゲンキンな人だと思われるかもしれないけれど、好意なんてあやふやで目に見えないものを一番認識しやすくするのは言葉と、あとは物理的な品物じゃない?自分が好ましく思っている人に、少なくとも「贈り物をしたい」と思う程度には好かれてるのだなと思えるのは、うれしい。好かれているだろうことももちろんうれしいし、私がその人を好きでいても迷惑じゃなくて、なんなら好きだよ!を言葉にしてもおそらく嫌な気持ちにならないって自信を持てる、それがすごくうれしい。好きな人々にはたくさん好きという気持ちを伝えたいけれど、それで困らせてしまいたくない。

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11月には、卒業袴の前撮りをした。引っ越しの日程的に卒業式には出られそうにないので、せめて写真だけでも残しておこうと。衣装選びからメイク、ヘアセット、撮影まで一連の流れがもう楽しくて、やって良かった。アンニュイ~な表情もたくさん撮ってもらったけれど、やっぱり私は笑顔の自分が好きだなあって写真を選んでいて思った。

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他にも大学生活の終わりに向けて、ちょこちょこ動いた。荷物の整理や銀行口座の解約みたいなごく小さなことばかり。それでも「終わり」が実感を伴ってきた。会いたい人たちにも少しずつ連絡を取った。卒業までに、派手に遊ぶなんてできないけれど、なるべく後悔の無いように。

そして12月。卒論も大詰めで、提出まではもうとにかくそればっかり。無事完成して良かった。当日ではないけれど、クリスマスあたりには仲の良い人々と集まれた。それと、断捨離もしたな。うん、1年の締めくくりの月としては、悪くない。

ただ、今年は生まれて初めて、一人で年を越す。うわー。さみしいよー。日付が変わるころ、私はどんな気持ちでいるのかな。そもそも起きているだろうか。でも確実に、今日は明日昨年になるし、来年は明日今年になる。って、クリープハイプリスペクト。さよなら2020年。案外まあ、悪いことばっかりじゃなかったよ。

それでは皆々様、良いお年をお迎えになりますよう。